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6月19日 5年ぶりのサンフランシスコ国際空港からメキシコへの乗り継ぎ。 出発日の19日19:20に、メキシコシティ国際空港着。 ホテルの直ぐ近くに空港内のフードコートが有り、幾つかのお店を物色。 メニューは「torta cubana」で、美味しく頂く。 現地時間14:10、ハバナ近くのホセ・マルティ国際空港に到着。 小さな空港、でも、想像していた程レトロでもない。 出口から直ぐの所に両替所が有り、早速換金。 空港の出口付近では、タクシーの乗り場を直ぐに見つける事が出来る。 キューバでは5回タクシーを使ったが、不快な思いは特になかった。 市街地に近付くにしたがって、建物、人々、車など、キューバ特有の風景が目に入ってくる。 まだ、グローバリズムにフォーマットされていない美しい世界。 インターネットで予約していたHOTEL SARATOGAに到着。 また、HOTEL SARATOGAのネット接続はフリーwifiで重宝した。 ハバナの街はこのシーズン、湿度が高い。 やはりクラシックカーに目が行く。しかも普通に日常使いされている方から、タクシー営業されている方、色もカラフルで見ているだけで楽しい。 ホテルの前にも観光用のタクシーが数台あり、その内の1台のドライバーから声を掛けられる。今日は初日で街を歩きたいので明日に、と伝え名前を控えさせて貰った。 直に観光用のクラシックカーの溜りを発見! 街を歩いていると既に、数人の人に声を掛けられた。半分くらいは客引きの様にも聞こえるが、強い営業などは無く、気さくに声を掛けてこられている感じを受ける。 滞在中、営業ではない人たちからも、多く声を掛けられ、どこから来た?日本、野球が盛んだね!技術が優れている国だ!など、素朴な会話が多かった。 因みに、旅行先の初日に10人程の人たちと握手かハグをしたのは初めての事だった。 オビスポ通りに入る付近で既に、カフェから陽気な音楽が聞こえてくる。 気になりつつもオビスポ通りへ。 建物はスペイン統治時代からの物をそのまま使われている感じ。 歴史的建築物でも懐古趣味ではなく、実際に使われる生きた建築と言った感じを受ける。 パートナーが事前にチェックしていた、ピエハ広場近くのcafe taberna へ。 ディナーショーのデポジットは全額の100cuc(50cuc×2人)。やや躊躇したがマネージャーさんと少しお話しした感じで、問題なさそうだった為お支払いし、予約を入れる事にした。 夕方、オビスポ通りを出て 、岬に向かうマルティ通りを歩く。 横目に見ながら岬を目指す。 このシーズン、夕方に雨が降るらしい。 しばし海を眺め、来た道をホテルに戻る事にした。 帰りの道もまだ、人々の集まりで賑やか。 ギターを手にした男性から声を掛けられる。 俺の音楽を聞いてくれ、と私たちの為に一曲、演奏してくれた。 うむ、なかなかの物。 チップは要求されなかったが、ポケットに小銭を入れさせて貰った。 20:30に予約していたcafe tabernaへ。 昼間のマネージャーさんが一番前の席を案内してくれた。ありがたい。 キューバの料理 は比較的あっさりな印象。素材を生かして美味しく調理している感がある。 同じスペイン領だったメキシコとは違うテイスト。 バンドメンバーが私達のテーブルの横を次々に舞台へ。 6月21日 朝は遅めにcafé Bianchiniで頂く。お店のスタッフの若い二人が良い感じだった。ご夫婦だろうか? すぐ近くのハバナ大聖堂(cathedral)へ。 18世紀に完成したバロック建築。やはりメキシコのバロックとの差が感じられる。大きな要因は原住民の文化の影響が無かったか、有ったかによるものと考えている。 折角なので塔の上に登る事にした。 石造の階段から、鐘楼は木造の急こう配の階段で、スケルトン状態。やや緊張感を覚える。 塔から市内を見渡すことが出来る。 革命時の資料、別館で使用された航空機も展示の筈だったが、建物の改修中で、近くで見ることが出来なかった。 その隣のハバナ国立美術館へ。 キューバアートの植民地時代から現代まで幅広いコレクションとなっている。 紹介されることが少ないせいか、これほどアートが盛んとは知らなかった。 一旦ホテルに戻る途中、近くのスーパーで飲み物を購入。 品数はそれほど多くなく、私たちがイメージするスーパーの雰囲気とは若干違う。 夕方、昨日ホテルの前で会った、クラシックカーのタクシードライバーを呼んでもらった。 1時間で28cucが相場らしい。他でも声を掛けられたが、同じ金額だった。 乗り込んだ車は、ドライバーのお話だと、パトカーとして使われていた歴史があるとの事だった。 海沿いの道を通り、旧市街から新市街に入り、終着点は革命広場だった。 戻りはホテルではなく、事前にチェックしていたイタリアンのレストランに止めてもらう。 帰りの時間、まだ明るかったため、岬まで夕陽を見に歩く。 6月22日 ハバナの旧市街は小さな街で、3日目となると大凡は把握できる。 そこから歩いて約10分のサン・ホセ民芸品市場へ。途中の道は、観光地から徐々に離れ、ハバナ市民の生活を垣間見ることが出来る。 果物屋さん、パスタの立ち食いのお店、木工所、TVの前に集まり皆でTVを見る人たち(これは父に聞いた以前日本にもあった風景)、道で遊ぶ子供たち、、、それだけでも興味津々だった。 一昨日のショーで、歌手の方たちが被っていた帽子がどうしても欲しくなり、帽子専門のお店を物色。 値交渉するべきものだったかしれないが、言い値の12cucで購入。 早速気分よく被り、町を歩く。 ピエハ広場で花売りの二人につかまり、最後はチップを要求されてしまう。 観光地でよくあるシーンだが、キューバでは殆ど見かけず油断してしまった。これもグローバリズムの負の恩恵かも知れない。 ピエハ広場近くのチョコレート専門のカフェ・Museo del Chocolateへ。 ガルシア ロルカ劇場へ。何度も前を通り、外観は見ていたが、内部を見学する事にした。 クラシックバレーの講演とは別に、見学のためのツアーも5cucで行われている。 スタッフの方に付いてご説明頂く、30分ほどのツアー。 キューバの当時の繁栄を伺う事が出来る、豪華な劇場の造りだった。 オビスポ通りに戻り、カフェで演奏を聴きながらダイキリをオーダー(3cuc)。キューバに来てダイキリを一体何杯飲んだのだろう?分からない位よく飲んだ。 夕食はピエハ広場に近いLa Imprentaで取る事にした。 印刷所の建物を利用し、広めの空間で気持ちが良い。 ここでも美味しく頂くことが出来た。少し飲みすぎたかもしれない。 帰りの道は気分よく、やや千鳥足となってしまった。 通り沿いの店でアイスクリームを購入。シングルでお願いしたが閉店間際の為か、他の理由か、サービスでダブルにしてくれた。 食べつつ、ホテルに向かって歩いていると、一緒の方向に歩く方から、日本語で話しかけられる。 よく見ると2日前に同じく話しかけてこられた方と、奥様。 実は、ハバナの初日、別の場所での事だった。 日本語は、会話に問題ない高いレベル。 つい英語で話していると「日本語で話してください!」と2回も言われてしまった。 日本語も読めるとの事だったので名刺を渡して、その場で別れる事にした。
朝、一旦ハバナを去り、もう一つのキューバの目的地、バラデロに移動だった。 事前に予約した乗り合いバスが、ホテルまで迎えに来る予定、が、なかなか来ない。 コンシェルジェに電話を掛けてもらい、聞くと間違いなく向かっているので待ってくれとの事だった。 約1時間遅れてバスが到着。 中には、外国人観光客が一杯。ホテルをそれぞれ廻り、私たちのホテルが最後だったらしい。 これでは遅れても仕方ないか、と納得。 バスは、海沿いから幾つかの町を抜け、バラデロに向かう。 時折、ローカルな、人々の生活を垣間見ることが出来る。 ここでも順路に沿って、手前のホテルから順番にストップ。 私たちは岬の先端付近、最後の方で、約3時間半でホテルに到着。 ホテルは、こちらもインターネットで予約したRoyalton Hicacos – Varadero。 ネットはフリーではなく、市内と同じくカードを購入し、ホテルのフロント付近のみで接続するもの。 部屋で荷物の整理を早々に済ませ、やや足早に海に直行した。 28km続くバラデロのビーチ。美しい。。。 ビーチベッドでダイキリ、モヒート、ダイキリ、、と、夕陽の時間まで過ごす。 6月24日 ビーチリゾートに宿泊した際は、何時も日昇時間にビーチを見に行く事にしている。 誰もいない、朝焼けのビーチは昼間とは違う美しさがある。 裸足で波打ち際を少し歩く。 ん、遠くからプロペラ機のような音が聞こえる。 すると丁度真上の低空を、複葉機が海岸に沿って飛んできた。 珍しい。キューバらしい古い機体。 後の情報で、antonov2であるらしいことが分かった。 大の飛行機好きで海好き、朝からかなりのテンションが上がる。 やっぱりパイロットになればよかったかもと、子供の様に喜んでしまった。 日中はビーチでゆっくりと過ごす。 夜、予定されていたダンスと歌のショーだった。 やはり、キューバだけにしかない音楽とダンス。スペインの影響は強く感じるが、その後キューバで独自に発展した特有の物。 ここでも、キューバ文化を堪能。 6月25日 再びハバナに戻る日。 帰りのバスはバス会社・ルートが違い、内陸部を通る。 予定されていた時間に到着。 タクシーで、キューバ最後の夜を過ごすHotel Habana 612へ。 通りから一本入った市街地で、ホテルが面する通りにはハバナ市民の生活が溢れている。 近くのオビスポ通りに入り、カフェで演奏される音楽と共にモヒート、ピニャコラーダ、ダイキリを楽しみ、キューバ最後の夜を迎える。
食事が終わろうとするとき、ガラス越しの通りから手を振る人が見える。 何と、3日前に日本語で会話したEddyさんだった。 まさか3度も会うとは。。。 暫し色々とお話し。今度はEddyさんの住所を記録し、その場で分かれた。 ホテルは市街地で土曜日、夜中まで賑やかで、やや睡眠不足の夜となった。 6月26日 早朝の3時に起床。 支度し飛行機の都合で4時にチェックアウトした。 フロントで有り難い事に、サンドイッチを二人分用意してくれていた。 ホテルに頼んでおいた車も時間通りに到着。 普通のタクシーが来るだろうと思っていたが、嬉しいクラシックカーだった。 ホセ・マルティ国際空港から来たルートを戻り、メキシコシティ国際空港へ。 アエロメヒコ便に搭乗。 名残惜しく、機内の窓からハバナの風景を眺める。 11:00、やや遅れてメキシコシティ国際空港着。 タクシーで、市内に移動。 日曜日のせいだろうか?前回訪れた時より、交通量は少なく、全体に運転のマナーが良くなっている気がする。 以前の荒く、激しい印象が減った。 5年前にも滞在したカミノレアルホテルにチェックイン。 これまで宿泊した中で、最も好きなホテルかもしれない。 5年前に見逃した建築・美術館を事前に調べてあった。早々にホテルを後にする。 ホテルはチャプルテペック公園に面し、幾つかの美術館、博物館に近い。 当日、日曜日で公園付近は出店も出て人が一杯。 先ずは近代美術館へ。 近代から現代まで収蔵している点数はかなりの量だった。 ムフィーノ・タマヨ、フリーダ・カーロの作品も有った。 其処から歩いて直ぐのルフィーノ・タマヨ博物館へ。 素晴らしい空間デザイン。 展示はこちらも多く、偶々、イサム・ノグチ展が行われていた。 それにしても、先程の近代美術館も同じだが、作品へのセキュリティが低い感じを受ける。 絵画もすぐに触れそうな位、位置が近いように感じる。 それだけ美術品に対するモラルが高いという事だろうか? お昼も兼ねて博物館のカフェに入る。感じの良い空間。 前回はメキシコ料理をあまり食べる事が出来なかった為、積極的に選ぶことにした。 私はエンチラーダ、美味しい。 バスを使って、ソウマヤ美術館へ。 うねる外観がかなり目を引く。 内部はスロープで各階を繋ぐ形式。 再びバスを使いホテルに戻り、1968年デザインのカミノレアルホテルをあれこれと見て回る。 6月27日 朝よりホテルのロビーで迎えの車を待つ。 HISメキシコシティさんに、事前に予約を入れていたパーソナルツアーだった。 今回、メキシコ国立自治大学とプリエト邸(ルイス・バラガン)だった。 パーソナルツアーなので、参加者は私とパートナーのみ。 前回もHISさんのバラガン・ツアーに参加し、その記録が残っていたようだ。 メキシコに観光でこの短期間に2回も訪れる人は珍しい、との事だった。 因みに前回は、サテライトタワー、サン・クリストバルの厩舎、カプチーノ礼拝堂、バラガン邸、ヒラルディ邸だった。
アステカ人、スペイン人、メキシコ人、多くの血が流れ、融合し、お互いを尊重し、そうした歴史を踏まえた上でのメキシコ人としての誇り、そう言った事を感じる。 アメリカやオーストラリアが原住民を排除し、融合しきれなかった事と対照的でもある。 プリエト邸は、今は閑静な住宅街の中にある。 しかし、建てられた当時は溶岩が広がる何もない土地で、バラガンがここに住宅を建てたのち、町が出来た。 最初の所有者から、今は別の所有者に代わり、週末住宅として使用されている様だった。 驚くべき事だったが、私たちが本で見ていたプリエト邸の壁の色は最初の所有者が後で塗り替えた物だった。 今回、説明頂いた現地の設計事務所の方が、所有者から依頼を受け、当初の形に復元し終えた所との事だった。 彼の説明では90%以上はオリジナルに戻った様だ。丁度、復元が終わったところで、その状態を見た日本人は私たちが最初らしい。 内壁の色は白ではなく、パステルのグリーンやパステルのピンクが使われている。 塗装をはがし、残っていた元の塗料を調べ、その色で塗ったとの事。 庭のプールの向こうに溶岩の地形がある。 これも途中で埋められていたようだが、現在は元の姿に戻っているとの事だった。 その他、最初に建った時は周りに何もない為塀は無かったが、徐々に周辺は建て込み、高い塀を設けて現在の姿になった等。因みにその塀の設計はバラガンが行ったとの説明だった。 大変興味深く、面白いと感じる。 空間の構成は、これまで見たバラガン邸、ヒラルディ邸と若干違う。 玄関を絞って狭くではなく、大きくリビングに広がっている。 巧妙に歩かせてシークエンスを感じさせるではなく、比較的シンプルな空間構成。 バラガンのデザインの変遷を感じる。 非常に有意義なツアーだった。 帰りの車は、ホテル着ではなくバスコンセロス図書館にしてもらった。 こちらも事前にチェックしてあり 見学する事にしていた。 入り口で荷物のチェックはあるが、自由にだれでも使える豊かな空間があり、驚きを感じる。 非常に大きな細長い図書館で、中心に吹抜けが有り、そこに向かって書棚と床がせり出している。 見た事が無い面白い空間。やはり印象は近未来的。 図書館から出て直の地下鉄の駅付近に、メキシコのファミレスを発見。 メニューに写真が有る為分かりやすいと、昼食をそこで取る事にした。 英語は全く通じない。メニューを指でさし、幾つとオーダーしたつもりが、一つ余計に来てしまった。 2人で 食べられない量では無かったので、頂く事にした。 ファミレスの食べ物はある程度癖を押え、平均化した味。私達には美味しく食べやすく、丁度良かったかもしれない。 地下鉄を乗り継ぎ、ソカロ広場へ。 地下鉄も以前の雰囲気と違って感じる。 普通の街の地下鉄と変わりがなく、以前のやや危険な感じはあまり感じない。 ソカロ広場からメキシコシティ・メトロポリタン・カテドラルへ。 スペイン統治下のバロック様式。 石の装飾にヨーロッパのバロックと違うアステカのデザインが混じっている。 建物は内部を歩くと直ぐに分かるほど床が傾いている。 元々メキシコシティは湖の上に作られた街。 当然地盤は良くなく、スペイン統治時代の建物は傾いている物が多い。 湖の埋め立てはスペイン時代のみならず、それ以前のアステカ人によっても行われていたそうだ。 其処からアラメダ公園に向かって歩く。 ラテンアメリカンタワー、ベジャス・アルテス宮殿を見ながら中央郵便局へ。 中央郵便局にはバロック調、アールヌーボー調の美しい階段がある。 2階まで上がる事が出来る。 直ぐ近くのCafe de Tacubaへ。 古き良き時代のメキシコのカフェ。フリーダ・カーロとディエゴ・リベラが披露宴をした場所でもある。 Takuba chocoとミルクシェイクをオーダー。なかなか良い。 観光バスに乗り、ホテル方向へ。 高層の建物が増え、今、急速に発展するメキシコシティを見る事が出来る。 メキシコシティ、及び今回のツアーの最後の夜は、ホテルでゆっくりと過ごす事にした。 翌朝の飛行機も早めで未明の2:30起床の為だった。 6月28日 予定通りにホテルをチェックアウト。 今回のツアーは建築、街、人々、音楽とダンス、ビーチと好きな物、盛り沢山だった。 これまでにない感動。 さらなる感動を求め、次はどこに行こう?
by kawazoede
| 2016-07-14 16:46
| キューバとメキシコの旅’16
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