設計事務所のブログ
by kawazoede
メキシコから届いたもの(JIA近畿支部 住宅部会 寄稿文)

去年の9月、メキシコの建築家の方からSNSである問い合わせがあった。自身が勤める大学の学生向けに、オンラインのレクチャーをお願いしたいと言ったもの。

スペイン語でなくてもOKとのことで、引き受けることにした。テーマは日本的な内容を含んだ方が良いかもと少し悩み「between exterior and interior space」とした。内外空間の考え方が日本とメキシコと大きく異なる為、その様な切り口が説明しやすいかもと考えた。






大学時代の資料を引っ張り出し、初めに大仙院石庭について少し説明することにした。

論文の研究対象で幾つか見た石庭のうちの一つだった。

大仙院石庭では、石庭とその空間構成に大きな衝撃を受けたことを思い出す。

庭の真ん中を横切る半外部の橋亭(渡り廊下)、そしてその橋亭に設けられた窓、縁側との距離感、室内なのか庭の中なのか曖昧に感じさせるシークエンス。裏と表が何箇所かで反転した様な感覚。そこでは自身の立ち位置を喪失し、庭に作られた観念的な自然と一体化すると言った分析をおこなった。日本的な自然観、空間構成の一つを見た気がした。

今回、レクチャーを引き受けたもう一つの理由があった。それは、当該大学がメキシコ、グアダラハラという町にあり、グアダラハラはルイス・バラガン生誕の地でもある。その町への興味もあった。

過去2回、メキシコシティを訪れたが、未だグアダラハラへは行ったことがなく、次にはと考えていた。

メキシコシティとその近郊では、バラガンのデザインによるサン・クリストバルの厩舎、バラガン邸、ヒラルディ邸、プリエト邸、カプチーノ礼拝堂、サテライトタワーを見ることができた。その内、バラガン邸のシークエンスには強く印象に残るものがあった。

ピンク、赤茶、青などの独特の色彩に写真では目が行ってしまうが、現地では周りによく使われている色でもある。ピンクはブーゲンビリア、赤茶は大地、青は空などからの由来など言われる。

バラガン邸をはじめ、バラガンのデザインでは、色は空間構成やシークエンスの為に使われている。

バラガン邸は、通りからは周りの風景と同化し、全く区別が付かない。外観は何も主張していない。敢えて主張していない事を主張しているかの様。通りに面した出入り口の内、玄関から室内に入った。それ程広くなく奥に長い空間、そこから階段のあるホールに至る。よく写真で見るシーン。壁から突き出たテーブル、その上に置かれたダイヤル式の電話機、椅子。内部の空間は外部から閉ざされ、穏やかな光と静寂が支配している。この空間の根底にはバラガンの宗教観が深く関わっていると感じる。アイキャッチになる箇所に、十字の形が幾つか浮き出て見える。

更に奥に進んでいく。空間をつなげつつも動線に変化を持たせて分節し、異なる空間が次々に現れてくる。

道から玄関ホールに入り、アトリエ、リビング、ダイニング、寝室、屋上と移動する過程にストーリーを感じた。

事前にたくさん見た写真では、色彩や、はね出しで手摺がない階段のディテールなどに惹かれていたが、実際にはそれらはシークエンスの為の構成のパーツと感じる。シークエンスは写真に撮ることが難しい、その時に強く確信せざるを得ない出来事だった。

因みにバラガン邸は財団の管理で、ヒラルディ邸とプリエト邸は最初の所有者ではない方が所有されている。いずれも室内の写真の撮影はOKでも公開は不可となっている。

ヒラルディ邸も外壁はピンクで写真では目を引くが、通りの町並みからは突出して目立つ外観ではない。(あちこちに同じようなピンクの色は建築に使われている。)

ここには実際にお住まいになられているご家族がおられる。建設当時のヒラルディ氏ではなく、そのご友人との事だった(2011年、当時)。バラガンの建築を保全したい意図もあるとの事で、そのご家族の所有・管理となっている。2階は実際にお住まい方の家具などあり、リビングだけ見させて頂く事は出来るが、撮影は不可だった。玄関からホールに至る空間の構成は、先のバラガン邸に良く似ている。やや広めの玄関を通ると2階へ通じる階段吹抜けがあるホールがあり、そこから変化のある次の空間へ移動する。黄色い色ガラスから放たれた光で黄色い空間となったプールへの廊下、その奥に1m程の水深のプールと青と赤の壁、ここでもより色が効果的に使われている。黄色い壁の空間と思っていたものは、黄色い光を放つ縦スリットのガラスから拡散した光だった。ガラスの表面をよく見ると、布の様なもので黄色い色を斑に着色してあり、独特の仕上りとなっている。

屋上に上がると高い壁に囲まれた外部空間が広がる。以前は周りの建物に干渉されない空間だったとのこと。今は高い建物が周辺に出現し、屋上の空の風景にビルの姿が割り込んでいる。

プリエト邸は、閑静な住宅街の中にある。

しかし、建てられた当時は溶岩が広がる何もない土地で、バラガンがここに住宅を建てたのち、町が出来た。

最初の所有者から、今は別の所有者に代わり、週末住宅として使用されている様だった(2016年、当時)。

驚くべき事だったが、私たちが本で見ていたプリエト邸の壁の色は最初の所有者が後で塗り替えた物だった。説明頂いた現地の設計事務所の方が、現在の所有者から依頼を受け、当初の形に復元し終えた所との事だった。

彼の説明では90%以上はオリジナルに戻った様だ。丁度、復元が終わったところで、その状態を見た日本人は私たちが最初らしい。

内壁の色は白ではなく、パステルのグリーンやパステルのピンクが使われている。

塗装をはがし、残っていた元の塗料を調べ、その色で塗ったとの事。

庭のプールの向こうに溶岩の地形がある。

これも途中で埋められていたようだが、現在は元の姿に戻っているとの事だった。

その他、最初に建った時は周りに何もない為塀は無かったが、徐々に周辺は建て込み、高い塀を設けて現在の姿になった等。因みにその塀の設計はバラガンが行ったとの説明だった。

空間の構成は、それまで見たバラガン邸、ヒラルディ邸と異なる印象。

玄関を絞って狭くではなく、大きくリビングに広がっている。

巧妙に歩かせてシークエンスを感じさせるではなく、比較的シンプルな空間構成。

バラガンのデザインの変遷を感じる。

レクチャーに話を戻すと、私が設計した実例も幾つか説明した。

日本的と感じられる、室内外の関係性をコンセプトとしたプロジェクトを選定した。

レクチャー後の質疑で、「芸術としてのミニマリストとは?」など回答に悩むものも幾つかあったが、無事終えることができた。

自身のデザインに客観的になる事もまた非常に難しいと、日々考えている。今回のレクチャーでコンセプトなどを口語体にテキスト化したことで、それが少し見えた気がする。

レクチャーから暫く経ったある日、Amazonを通じてメキシコから1冊の本が届いた。講演を依頼した建築家から送られてきた物だった。直ぐにSNSでお礼を書くと、「my friend!」とラテン系の気さくな返事が返ってくる。

グローバリズムによって、文化的・地理的な距離感が大きく変化しつつあることを認識したイベントでもあった。


by kawazoede | 2022-04-13 20:56 | 日記
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